メアリー・シェリーの同名小説を基にギレルモ・デル・トロが監督/脚本を担当し、オスカー・アイザックが主演を務めた「フランケンシュタイン(2025)」。Netflixにて配信された映画ですが、皆さんはご覧になりましたでしょうか?
私も視聴したのですが、原作の「フランケンシュタイン」とはまた違った、設定やストーリーがとても印象に残っています。この記事ではNetflix版「フランケンシュタイン(2025)」について詳しく解説していこうと思います。原作と違う部分もいくつかあったり、見どころや印象的なシーンなど、幅広く紹介していきますので、今作を視聴した方に見ていただけると幸いです。
Netflix版「フランケンシュタイン(2025)」について
まず、Netflix版「フランケンシュタイン(2025)」について軽く解説していきます。
今作は、「パンズラビリンス」や「シェイプ・オブ・ウォーター」などの作品で知られるギレルモ・デル・トロ氏が、25年の年月をかけて作り上げた作品とのこと。特に「フランケンシュタインの怪物」への愛を込めて制作したようです。
主演は「スターウォーズ」シリーズのポー・ダメロン役や、ドラマ「ムーンナイト」で主役を務めたオスカー・アイザック。その他、今注目となっている若手俳優のジェイコブ・エロルディが怪物役として出演しています。
Netflix限定の独占配信作品となっていますが、一部の劇場に公開もされています。
メアリー・シェリーの同名小説を基にしつつ、デル・トロ氏の新たな視点から描いたストーリーがとても印象的なのですが、ストーリーだけでなく、19世紀のヨーロッパの雰囲気なども楽しめる一作です。
デル・トロ氏の作品が好みの方や、ゴシックな世界観が好きな人にはたまらない作品なのではないでしょうか。
そして、一番注目して欲しいのが今作のテーマです。
原作では主に怪物の悲しみや苦しみ、自身のアイデンティティの葛藤をメインに描いているのに対し、この作品だと「父と子」をテーマにしていることがデル・トロ氏のインタビューで明かされています。
キャスト:Netflix版「フランケンシュタイン(2025)」
お次はキャストについても紹介していきます。
主人公のヴィクター・フランケンシュタイン役のオスカー・アイザックと怪物役のジェイコブ・エロルディの他、ハインリヒ・ハーランダー役にクリストフ・ヴァルツ、ウィリアム・フランケンシュタイン役にフェリックス・カマラー。
エリザベス・ハーランダー役は「pearl(パール)」シリーズの主演女優として知られるミア・ゴス、アンデルセン船長役にラース・ミケルセンなどが出演しております。
その他、脇役なども合わせれば、チャールズ・ダンス(レオポルド・フランケンシュタイン)やデイヴィッド・ブラッドリー(盲目の老人)などもいます。こうして見ると、結構な豪華俳優になっているのが分かりますね。
↓主人公のヴィクター・フランケンシュタイン(オスカー・アイザック)

↓フランケンシュタインの怪物(ジェイコブ・エロルディ)

↓エリザベス・ハーランダー(ミア・ゴス)

↓ウィリアム・フランケンシュタイン(フェリックス・カマラー)

↓ハインリヒ・ハーランダー(クリストフ・ヴァルツ)

アンデルセン船長(ラース・ミケルセン)

原作との違い:Netflix版「フランケンシュタイン(2025)」
この作品は小説の「フランケンシュタイン」を基にしていますが、原作に忠実なストーリーではなく、所々異なる部分や違う設定があり、「原作とまるで別物」とまではいきませんが、結構原作と違う要素がいくつもあります。
ここからは原作との違いがどれくらいあるのか見ていきましょう。小説を読んだことがない人には必見だと思いますので、最後までご覧ください。
ヴィクター・フランケンシュタインの性格が異なる
まず1つ目は主人公のヴィクター・フランケンシュタインの性格がやや異なることです。今作のヴィクターは作中で「支配的で傲慢な人物」だと言われており、映画内で彼の優秀さを認めている人はいるものの、その支配的な性格を良く思っていない人もいたりします。
一方で原作だと終盤辺りはともかく、序盤では「誠実で家族想いの好青年」といった人柄で、家族からも親友からも信頼されており、基本的に善良な人物として書かれています。
ただし、映画と原作で性格が全く違うというわけではなく、小説のヴィクターも初期の頃の方は家族想いの青年として書かれていますが、科学に手を染めるようになってからは一転して、自己中心的とも言える性格になってしまいます。
そのため、映画でも小説でも自己中心的で傲慢であることには変わりはありませんが、幼少の頃の性格が少し違うといったところです。違いを簡単にまとめると、このような感じ。
映画:父親の英才教育と虐待により、少年の頃から少しずつ支配的な性格になった
原作:両親に愛情を注がれて育ち、誠実で家族想い
登場人物の名前が原作と違う人がいる
次は登場人物の名前が原作と違うという点。全員の名前が異なっているということではないのですが、名字や上の名前が違っていたりする人物が何人かいます。
例えば、ヴィクターの父親は今作だと「レオポルド・フランケンシュタイン」となっていますが、原作だと「アルフォンス・フランケンシュタイン」という名前です。他にも同じような違いを持った人物がおり、下記にまとめています。
・クレール・フランケンシュタイン(ヴィクターの母親)…原作:カロリーヌ
・エリザベス・ハーランダー…原作:エリザベス・ラヴェンツァ
・アンデルセン船長…原作:ロバート・ウォルトン船長
レオポルドを含めるとこれらの4人です。エリザベスだけは苗字が違うだけですが、他の3人は全く別の名前になっていますね。
フランケンシュタイン家の家庭環境
ヴィクターの母親や父親の名前が違うだけでなく、フランケンシュタイン家の家庭そのものが原作と大幅に違っています。
映画だとフランケンシュタイン家は、男爵の爵位を持つ貴族という設定で、ヴィクターの両親は言わば政略結婚で結ばれた夫婦であり、夫婦仲は冷え切っていました。男爵である以外にも父親のレオポルドは外科医でもあり、ヴィクターも将来立派な外科医になるために英才教育を受けていました。
小説だとフランケンシュタイン家は裕福な家庭という設定ですが、貴族ではなく、父親のアルフォンスも外科医ではありません。そのため、ヴィクターは父親から英才教育は受けておらず、基本的に両親に甘やかされて育ちます。
また、ヴィクターの両親であるカロリーヌとアルフォンスも政略結婚ではなく、親友の娘だったカロリーヌをフランケンシュタイン家に引き取る形で2人は夫婦になっており、至って良好な関係です。
その他、ヴィクターにはアーネストという弟もいるのですが、なぜか映画には登場しておらず、末っ子であるはずのウィリアムが今作では次男という設定になっています。小説ではアーネストが次男、ウィリアムが末っ子の三人兄弟です。
映画では息子であるヴィクターに英才教育をし、時には虐待もしていたレオポルドですが、アルフォンスの方はというと、息子を心から愛する良き父親という設定となっています。(ちなみに映画、小説問わず、ヴィクターが母親をマザコン気味に愛しているのは共通の要素だったりします。)
ヴィクターが科学に手を染めるようになった理由が少し違う
これも原作と微妙に違っている要素です。
原作だとヴィクターは母親が病気によって亡くなってしまった際に「死を克服したい」と思うようになり、最初はただの好奇心だったものが、どんどん欲望へとなっていき、最終的に怪物を創るという行為に走っています。
今作だと母親が死産した後、生まれてきた弟のウィリアムばかりを溺愛する父に対し、憎しみのような感情を持つようになり、父親を見返すために「死を克服してやる」という願望を抱くようになっています。とはいえ、母親の死が根本的な理由になっているのは同じではあります。
しかし、原作のヴィクターは母親が病死する以前に「科学」というものに興味を持っており、様々な本や書物を読んでいました。幼少の頃から抱いていた好奇心が母の死により、一気に加速してしまったという流れです。映画だと好奇心というよりかは「願望」や「欲望」に近い感じですね。
また、小説だと最初までは「死を克服して、人類を救いたい」とヴィクターは思っていましたが、今作の場合だと「父親を見返すため」という前提があります。実際に映画の方のヴィクターは怪物を創った後「創造後のことを考えてなかった」と独自しています。このことから小説とは違い、「死を克服することで、人々を救う」という願望は無かったと推測できます。
原作ではヴィクターだけで怪物を創った
こちらは原作と決定的に違っている部分の一つ。
小説だとヴィクターは誰の力も借りずにたった一人で怪物を生み出しているのですが、映画だとハーランダーや弟のウィリアムなどの手も借りて、複数の人たちの協力により怪物を創ります。
小説の場合だと、ヴィクターは17歳の時にインゴルシュタットに旅立ち、その先で科学について学び、墓場から死体を掘り起こし、それらを繋ぎ合わせて怪物を生み出します。原作ではこのような展開になっており、誰の協力も得ずに一人で創っているんです。
一方で映画の方はというと、ハーランダーという人物がヴィクターの科学の才能を見出し、「生命を生み出す」という願望に興味を惹かれ、それを実現するためにヴィクターと手を組むという流れになっています。弟のウィリアムなどの人物も含め、処刑場から被験体を用意したり、健康体の人間の死体をたくさん集め、研究するための拠点とする廃墟も見つけたりなどの描写がされています。
原作と違うと感じつつも、何ら違和感を感じなかったのが、凄いと思える展開でした。(ていうか、こんな膨大な作業や下準備を一人でやったヴィクターがある意味すごすぎると逆に思った。)
ヴィクターとエリザベスの関係性
この点も原作と明らかに違う部分です。
ヴィクターの弟であるウィリアムは、ハーランダーの姪であるエリザベスと婚約をしているのですが、小説内ではエリザベスはヴィクターの婚約者という設定です。
というのも、元々エリザベスは貴族ではなく、親のいない孤児だったのです。身寄りを無くしていたエリザベスをヴィクターの母親であるカロリーヌが引き取り、フランケンシュタイン家の家族として迎えることになります。そして、ヴィクターとエリザベスは幼馴染として共に幼少期を過ごし、成長する頃には互いに恋仲となっています。
映画の方のエリザベスはヴィクターに片想いこそされているものの、最終的に彼をフッています。ウィリアムの婚約者という設定以外にも、昆虫を好むという風変わりな一面があるのも小説と違っています。
その他、小説のエリザベスは慈悲深く、心優しい女性として描かれていますが、今作のエリザベスは昆虫などの変わった生き物に興味を惹かれる、どこか不思議な雰囲気を纏う女性という感じです。私の中でヴィクターとエリザベスが恋仲ではないという設定は驚きました。
怪物が悪堕ちしていない
もう一つ個人的に驚いたのは、フランケンシュタインの怪物が悪堕ちしていないというもの。
本来なら怪物は醜い容貌から大勢の人に恐れられ、人類に拒絶された怒りから純粋無垢だった心が少しずつ悪へと染まっていき、結果的にヴィクターの大切な人々を殺すことになります。
このように怪物は望まずして悪になってしまった悲しき存在なのですが、映画内だと、欲しくもない命を与え、死という救いを与えてくれなかったヴィクターに怒りを抱いているものの、怪物は悪に堕ちたわけではないんです。(作中で度々人を殺すことはありますが…)
とはいえ、ヴィクターに憎しみは抱いているかもしれません。一方で殺意を持っているわけでもないのです。映画のラストシーン辺りを見てみると分かりますが、ヴィクターのことを憎んでいても、本心では父親として愛していたのでしょうか。
小説だと怪物はヴィクターに対し、何の情も抱いておらず、憎しみと殺意しかありません。父親としてはおろか、ヴィクターのことを愛してもいませんでした。
しかし、原作の怪物も最初から悪の存在ではなく、善意と優しさを持ち合わせていましたが、出会う人全員に「怪物」やら「化け物」やら呼ばれた挙句、本当に自分のことを「怪物」だと認識するようになり、ヴィクターに復讐することを決意するのです。
小説では怪物が自身のことを「怪物」だと自覚しているのに対し、今作に登場する怪物は「醜い容姿をしているが、これでも人間」だと認識しています。この辺りが大きな違いですね。
自分のことを「人間」だと思っているのが強く影響しているのか、完全に悪には染まらず、人を殺していることと醜い容姿を持つことを除けば、優しく純粋な心を持つ存在だと言えるでしょう。
怪物がヴィクターに復讐心を抱いていない
怪物が悪堕ちしていないことも個人的にはかなりの驚きでしたが、それ以前に怪物がヴィクターに復讐心を抱いていないことも原作とまた違う新鮮さがありました。
小説だと先程も書いたように、怪物が全人類に失望したことにより、人間を憎むようになり創造主であるヴィクターに復讐することを誓います。そして、ヴィクターの親友と婚約者であるエリザベスを殺害します。
映画でもこういった展開になるのだろうと予想していたのですが、いざ蓋を開けてみれば、ヴィクターに暴力行為はしているものの、彼に復讐心を抱いているわけではなく、復讐を誓っているという感じでもありませんでした。
怪物がヴィクターの弟であるウィリアムを殺害するのは共通なのですが、あれは殺意があって殺したわけではないと個人的に解釈しています。ウィリアム以外にもエリザベスも作中で死亡するのですが、怪物が殺害したのではなく、実質ヴィクターが殺したことになりますよね。(映画を観た人ならご存知のはず。)
私の解釈ではありますが、怪物はヴィクターのことを憎んではいたものの、復讐心は抱いていなかったのではないでしょうか。仮に復讐心を持っていたとしても、ラストシーンでヴィクターのことを許したり、彼のことを「父」と呼ぶはずないでしょう。恐らく本心ではヴィクターのことを愛したかったし、愛されたかったのでしょうね。
原作ではエリザベスと怪物の間に絡みはない
映画内で怪物とエリザベスが互いに親交を深める描写があるのですが、原作だとこの2人に絡みは一切なく、絆を深めるどころか、会話をする描写すらありません。一つ言うのだとしたら怪物がエリザベスを殺害することくらいです。
この2人は映画の中で「母と息子」のような関係になり、お互い特別な感情を抱いているのが見て取れます。これらのシーンは原作を読んでいる私から見たら、少し違和感がありましたが、そもそも今作自体いろんな変更やアレンジがされているためこういう描写があってもいいかもなと思えました。
悲しい展開が続く「フランケンシュタイン」という物語の中で怪物とエリザベスの関係性は少しほっこりできました。(違和感感じてたけど、もっと絡み欲しかったような…)それ故にエリザベスが亡くなってしまうのは非常に悲しかったです。
ちなみに2人の関係は「シェイプ・オブ・ウォーター」の主人公イライザと半魚人と似ていると言っている人もいるようです。(デル・トロ監督の代表作の一つでもあります。)
ハーランダーという人物は原作に登場しない
ウィリアム・フランケンシュタインの設定
ヴィクターが怪物を拒絶しない
怪物の性格などが原作とやや違う部分がある
ヴィクターと怪物の関係が異なる
一部の人物が映画に出てこない
物語の終末の違い
原作と共通する要素
死体を繋ぎ合わせて怪物を生み出した
怪物がある一家の家で言葉を学ぶ点が同じ
ヴィクターに「伴侶を創ってくれ」と頼むのも共通
今作のテーマは何か
「死ねない」という恐ろしさ
ヴィクターは怪物のことをどう思っていた?
怪物はヴィクターのことを愛していたのか
怪物とエリザベスの関係は?
怪物のその後の人生は?
印象的だったセリフやシーン
「ヴィクター…」
「創ったものは不気味で、無意味だった。」
「これが世界のあり方だ。時には自分でいるだけで追われ、殺されてしまう。」
「兄さんは怪物だ…」
「恐ろしいモノを創った…」
「モノではない…これでも人だ」
「話せないと責めたお前こそ、耳を傾けない‼」
「最後にもう一度だけ言ってくれ…」
「休んでくれ…父上」
実験が成功したことに興奮するヴィクター
怪物に言葉を教えようとする
エリザベスと怪物が関わるシーン
今作の見どころ
怪物たちを演じた歴代俳優たち


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